高野聖 [ちょっとした泉鏡花評]

高野聖
泉 鏡花 岩波書店このアイテムの詳細を見る


夜、旅の宿にて一人の僧が語り始めたのは、飛騨の山深くでくりひろげられた妖奇幻想の体験談だった。
飛騨の山越え信州へ行く、天生峠にて。麓の茶屋で会った薬売りが、道をあやまり旧道に入り込んでしまった。僧は薬売りを助けるために後を追いかけ、蛇や蛭に襲われながらも山道に入り込む。追いつけぬまま夜をむかえ、人家を見つけて一夜の宿を乞う。すると出てきたのは、信じられないほど美しい女性であった。
これはただの美しさではない、もののけの美しさだ……。

鏡花の「妖怪趣味」と「美しいひと」へのこだわりが結晶化した。鏡花を語るのには外せない、一度は読んでおきたい一作。最高傑作との呼び名も高い。

勿論面白いんだけど、私は意外とそこまでの思い入れはないかもしれない(^^;;
その作家の代表作に挙げられるものって、隙がないような気がするのだ。私はちょっと破綻している作品の方が好きだからな〜。
しかし、そこは鏡花のこと、代表作でもやっぱり壊れているのが嬉しい(?)。前にアップした『外科室』や『照葉狂言』とも共通する点であるが、鏡花が書くものの結末は少し投げやりなような、物語を宙に放り出したような感じがあるのだ。『外科室』は、結局死んでるし。『照葉狂言』では、さすらいの旅に出ちゃうし。『高野聖』の場合もそうで、僧はもののけの誘惑とはいえ「美しいひと」に強くひかれ、一度は彼女と共に暮らすことを望む。しかし二度と彼女と会うこともなく、旅立ってしまうのである。
女にふられたのでもふられたのでもないという、いろいろあったんだけど何にもなってない話、想いが全然成就してないお話である。
鏡花の書くものは、極端に閉じられた世界にあらわれる幽玄の美を、執拗なまでに追及していると思うのですが、その分、話の筋については興味がなさそうなところが見受けられる。普通の作家なら力を入れるであろう結末部分に来ても、あんまりやる気なさそうで、そんなところも面白い……かな?

それと、結ばれてはいけないという側面もあるのかもしれない。鏡花が描く女性は、菩薩のような、妖怪変化のような、母親のような、姉のような、やわやわとした魅力で男をつつみこむ。特にマザコンっぽい……。
母なる女性への思慕。そこには、禁忌への憧れがひそんでいるようにも読み取れる。しかし、禁じられたものはそのままに留めおかれ、積極的に破られることはなく終わっている。破られないからこそ、妖しく美しいものへの憧れを憧れのままでおくことができる。話が結末に来たからというような理由で、むりやり成就させることはないのである。鏡花が描く女性の尋常ならぬ美しさは、かなわないものへの憧れがそうさせるのではないだろうか。

kotaniriko

2004-03-30 20:29:58 | Permalink | コメント(0) |



コメントは投稿されておりません。

名前 :
タイトル :
URL :
コメント :

乙女心の哲学 >> | メイン | << 再発熱