照葉狂言 [ちょっとした泉鏡花評]

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泉鏡花の短編。
金沢にて。伯母に養われている孤児・貢は、隣に住む美少女・お雪と、姉弟のように慕い慕われあっていた。ある日、能狂言を演じる旅回りの一座が、金沢を訪れる。役者の小親が貢を気に入って、養子にむかえることになる。貢は一座に加わり、町を去る。しかし数年後、再び金沢の地を踏むと、お雪の悲惨な境遇を知ることになるのだ。彼女を救うだけの力も持たぬ貢は、ある選択をする……。

以下、ネタばれになるが、




上には「ある選択」とぼかして書いたが、貢は「選ばないということを選んだ」のだと思う。お雪とも小親とも別れて、一人、旅に出る。
話の筋だけ見ていくと、結構と無理を感じさせられる。特に、旅に出て終わり、なんてのは大変にかっこよくて、私は好きだったりするのですが、見方かえれば「ご都合主義」なんじゃないでしょうか?
しかし、ここは筋を追うよりも、泉鏡花の美文に素直に酔いたい短編だ。書きようによってはいかにも大袈裟で臭い話になるものを、鏡花の美意識が襞に分け入り、細かな描写でもって魅了しにかかるのである。音一つとっても文字からしみ出して耳に届くように感じられる。衣ずれの音、下駄の音、すり足の音…何の音が出てきても、胸に迫ってくるよ。お雪と貢が遊んだ幼き日々の記憶も、何とも夢みるような表現で、心に残った。

ところで、胸に迫ってくる=リアルな描写、ということにはならないらしい。私にとって、この話は全く現実感が伴わない作品である。
自分が女だということもあるだろう、登場する女性がしばしば「いてたまるか〜、こんな女!」と思わせ、たまに嫌悪感を持つこともあるくらい。鏡花が描く綺麗なお姉さん、この作品においてはお雪や小親になるが、その女性描写からは、どうしてもマザーコンプレックスの匂いを嗅ぎ取ってしまう。男性が女性に対して「こうあってほしい」と思うイメージ、ある意味で健全な、しかしながら、ちと勝手な願望のあらわれである。仕方のないこと。男とは愚かな生き物よの。そう承知しているものの、女である私から見て、それはやはり気色の悪いものと言わねばならない。
しかし、その願望は霧や霞に包まれ、うつくしい夢想のうちに表現されている。そんな作品に、そんな書き表し方に、心はどうしても動かされてしまう。
つまり、天下の鏡花にむかって、「おまえはマザコンだろう、キモイぞ」と言ってしまうフトドキな読者が私なのですが、それでも、その細部にまで至る描写の潔癖な美しさは、認めずにはいられない、という、何だか困った事態だ。そんでもって、「こりゃいけない」と思いながらも魅力を感じてしまう、という、その葛藤がまたたまらないような気がする今日このごろである。


三毛猫が出てくるのも嬉しい。←猫好き。

kotaniriko

2004-01-21 16:36:17 | Permalink | コメント(2) |



■ 鏡花
鏡花はたしかに超マザコンですよ。すごい潔癖症だったようだし。金沢のどっかのお寺の美しい鬼子母神像(だったかな?)を母の追憶と重ねて、、、みたいな話を読んだことあります(出所わすれちゃった。記憶あいまいですが)。

でも鏡花は好きですね。美文に酔いしれるかんじですが。字面からして美しい・・・ウットリです。
kiryn (2004-01-21 18:01:55)

■ Unknown
マザコンで潔癖症、ですね……。
TVで泉鏡花の何だかを放送しているのを見た時、あまりにも神経質そうなものだから、「うぷっ。」と気分が悪くなってしまったことがありました。
でも、作品は好きになりましたねえ。そうそう、美文に酔いしれる感じ。話の筋はあんまり気にしないかも……
木谷梨子@管理 (2004-01-21 22:02:06)

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