トリコロール 白の愛 [長たらしい映画評]

キェシロフスキ・コレクションII 「トリコロール」セットより
ジェネオン エンタテインメント
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引き続きフレンチでヨーロピアンテイストな愛の映画に違いないが、『白の愛』の舞台はパリからワルシャワへと移り、作品の肌触りも「青」や「赤」とどことなく異なっている。主人公のカロルと同じく、キェシロフスキ監督もポーランド人だったことが、うっすらと関係していそうだ。

鳥の糞、薄汚れた雪、汚い手を使ってでも手に入れる女、その白い肌……。白くて汚いものがたくさん映し出される。嘔吐もあり流血もあり、くりかえし痛めつけられるカロル。何度も何度も、画面に醜態をさらす。「愛の痛さ」「醜さ」「くるしさ」を存分に見せつけられてしまったが、一旦絶望したあとに、作品の奥底から不思議な暖かさ、親しみ深さがたちのぼってくるように感じられた。この映画は絶対、カロルのために、いまいち冴えない不細工なポーランド人の小男のために作られたものなのだ。

生きることは、楽しいことよりも苦悶と絶望の連続…である場合が多い、かも。
カロルの場合は、相手に捨てられたあげく惨めな目にあわせられながらも、忘れることのできない極上の女がいる。何しろ、ドミニクはいい。人生に成功しようとも失敗しようともかわらず、どうしても消し去ることのできない愛がある。
ミコワイの場合は、妻も子供も、そして多分愛も手に入れているが、その生活はヤクザな商売から成り立っている。身のこなしは大人の余裕たっぷり、恰幅のよい紳士なのに、なぜかどことなく悲しげなミコワイ。
カロルとミコワイの間には、奇妙な友情が芽生える。国外に脱出する時には、ミコワイがカロルを助ける。そして、人生に疲れて死を望んでいたミコワイを、今度はカロルが助けるのだ。カロルの銃には、弾と希望がこめられている。二人とも、それまでの自分に一旦死んでもらって、また新しく生き始める。
ちょっと「サスペンス劇場」してる成り行きも面白くて、もしかしたら、私はカロルとドミニクの恋愛の行方(こんな感じ)よりも、ミコワイとの友情の方に魅力を感じたかもしれない。地下鉄のホームで気配もなくすっと現れたミコワイには、40過ぎの男にしか出せないオーラがあって、ちょっとやられる。
このミコワイのように、死を意識しながら、絶望しながら、よれよれのくたくたになりながらも生き続けるという、この「終わりなし」を選択することにこそ、間違いなく意味があるのだ。

最近、私は起きることのすべてがある意味で「訴訟」であると考えるようになった。訴訟とは、戦いである。勝負である。
どうしようもなく情けなく、ものすごくしょぼくれていたカロルは、最初はこの訴訟に負けていた、明らかに。だが、ポーランドに戻ってからは、「死ねば苦しみは終わる」と考えていたミコワイに勝ち、彼を変えることができた。そして、かつては裁判所で「もう愛していない」と公然と言い放ち、彼を参らせたドミニクに対しても、ついに逆転勝利をおさめたのである。

kotaniriko

2004-03-15 23:33:29 | Permalink | コメント(0) |



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